来年2026(令和8)年は、干支では〈ひのえうま〉(丙午)にあたる。かつて日本には、「〈ひのえうま〉生まれの女の子は災いを招く」という迷信があった。その迷信によって、過去の〈ひのえうま〉は、ほかの年に比べて出生数が少なく、さらに男女比には歪みが見られている。しかし、地域単位で見ると、歪みの少ない地域があるという。その理由をデータから検証したのが、大阪大学の石瀬寛和先生だ。歪みを抑えた要因は何だったのか、経済学者である石瀬先生が〈ひのえうま〉に着目した理由などを詳しく聞いてみた。
災害が多いという伝承が、女の子がもたらす災いの迷信に
干支には十干(じっかん)と十二支があり、それぞれを組み合わせると干支は60種類ができる。〈ひのえうま〉は十干の「丙」と十二支の「午」が組み合わさった年のことで、60年に一度必ず巡ってくる。ではなぜ、この年にだけ妙な迷信ができたのだろう。

「中国には丙午や丁未(ひのとひつじ)の年には災害が多いという伝承がありました。それが江戸時代中頃までには日本へと伝わり、『〈ひのえうま〉は地震や火事が多い』といわれるようになりました。さらに江戸時代に放火事件を起こした“八百屋お七”が、1666(寛文6)年の〈ひのえうま〉に生まれといわれたうえに、歌舞伎や浄瑠璃の題材として取り上げられて、日本中に広がりました。当時は村々に劇場があり、そこで上演される歌舞伎や浄瑠璃は今でいうメディアの役割を持っていたため、影響が大きかったのでしょう。ただ、実際にお七が〈ひのえうま〉生まれかどうかは定かではありません」
こういった経緯により〈ひのえうま〉生まれの女の子を避けるため、該当年になると子どもの産み控えや堕胎が起こったばかりか、生まれたばかりの赤ん坊が女の子だとわかると殺害することも行われたという。「〈ひのえうま〉のときに限らず、当時は人口調整の方法として堕胎や嬰児殺(赤ちゃんの殺害)が広範に行われていたと言われています。1786(天明6)年の〈ひのえうま〉のときには神社などの前に『ひのえうまは迷信にすぎない。だから嬰児殺などを行わないように』といった内容の御触書(おふれがき)が出されたという記録もあります。こうした御触書が出たということは、嬰児殺を行う人が少なからずいたといえます」
浄土真宗は嬰児殺を強く戒めたという仮説を統計的に検証
では、〈ひのえうま〉とそうでない年とでは、人口や男女比の違いはどの程度あったのだろうか。石瀬先生に具体的なデータをもとに教えてもらった。
左のグラフから、明らかに〈ひのえうま〉の年(グラフ横軸が0)は、前後の年に比べて人口が少ない。1986年と1906年の人口は前後の年に比べて5%から10%ほど少なく、1966年には約25%も少なくなっている。また、生まれた年の人口が、女性1人に対して男性が何人かを示す右のグラフを見ると、〈ひのえうま〉の年は男性の割合が多いことがわかる。1846(弘化2)年や1906(明治39)年に男性の割合が多く、男女比の歪みが大きいのは、江戸時代や明治期には女の子を対象にした嬰児殺が広く行われていたことが推察されるという。
ここで気になったのが、人口グラフ(左)の1966(昭和41)年の数値。ほか2回の〈ひのえうま〉と比べて、大きく人口が減っている。その背景には、妊娠コントロールの周知のほか、「本人が迷信を信じていたというより、親や親戚といった周囲の年配者の声を気にして、〈ひのえうま〉を避けたのかもしれません」と石瀬先生は推察する。「ただ、当時の厚生省は、減少したとしても前回(1906年)と同様に5%から10%程度を見積もっていたため、25%減という結果は想定外だったようで、統計の発表に合わせて〈ひのえうま〉の影響についての調査を緊急に行っています」
〈ひのえうま〉の出生状況がわかったところで、石瀬先生の研究成果である「〈ひのえうま〉でも男女比に歪みが少ない地域」の話だ。石瀬先生は、特に1846(弘化2)年と1906(明治39)年の男女比の歪みに地域差があることに注目。先行研究では都道府県によって男女比の歪みに差があることは指摘されていたが、理由まではわからなかった。
「男女比の歪みに作用する理由はわかっていなかったものの、以前から歴史学や人口学では『浄土真宗は嬰児殺を強く戒めた』といわれていました。男女比が歪む原因が嬰児殺にあるとすると、浄土真宗の影響が強い地域では歪みが小さくなると予想できます。その仮説から、さまざまな統計資料を組み合わせて検証を進めたところ、他の宗派に比べて浄土真宗の寺院数の多い地域では、男女比の歪みが小さいことがわかりました。これにより、浄土真宗が嬰児殺を戒めたことが、〈ひのえうま〉の年でも、ある程度の役割を果たしていたと考えられます」

地図は大阪大学研究専用ポータルサイト「Resou」から引用
左の地図は平常年の男女比と比較して、江戸時代である1846年の〈ひのえうま〉の男女比がどれほど乖離しているかを表したもの。色が薄いほど乖離が小さい。右の地図は明治初期の総寺院数に占める浄土真宗寺院の比率を県別に記したもので、色が濃いほど寺院数が多い。2つの地図を見比べると、浄土真宗寺院の比率が高い都道府県は、男女比の乖離が小さいことがわかる。
〈ひのえうま迷信〉による人々の行動分析も経済学の一環
ところで、石瀬先生は経済学を専門とする研究者だ。〈ひのえうま〉というテーマは社会学や歴史学といった領域に思えるが、なぜ石瀬先生が?という疑問がよぎる。先生によると、研究者が条件を操作しない、実社会に自然発生する〈ひのえうま〉のような現象の観察と有用性は、経済学者も注目しているという。
「経済学といえば、金融政策やトランプ関税への対応策などを思い浮かべるかもしれませんが、それだけではありません。経済学は、人々が外的状況や政府・政策の変化に応じてどう行動を変えるかを考え、そして実際にどう動いたか、経済がどう変化したかをさまざまなデータから分析する学問です。なので、人が反応することは、およそ何でも経済学の対象になります」
消費税増税による人の購買行動の変化や生産・輸出の変化を研究するのも経済学であり、〈ひのえうま迷信〉に対して人がどう反応したかを研究するのも経済学。アプローチが非常に幅広い。
また、人に影響を及ぼす外的状況もあらゆるものが該当し、法律や制度といった公的な要素のほか、宗教に基づいた価値観や行動規範もその一つだ。経済成長に宗教が果たした役割は無視できないそうで、20世紀初めにはすでにドイツの社会学者マックス・ウェーバーが、プロテスタントの勤勉さが経済成長につながったという研究発表している。近年、経済学の手法を使ってウェーバーの仮説を再検証する研究が行われるなど宗教の影響の分析が盛んに行われているそうだ。石瀬先生も従来から宗教が人々に与える影響や経済全体へのインパクトについて関心があったといい、日本におけるプロテスタント的な存在が浄土真宗といわれていることから、浄土真宗に着目。〈ひのえうま〉と浄土真宗の関係性を研究するにいたったという。
時代背景も価値観も変わった2026年の〈ひのえうま〉はどうなる?
さて、2026年の〈ひのえうま〉は、どうなるだろうか。
「1906(明治39)年生まれの女性が結婚をする時期になった1920年代中頃から1930年代初めの雑誌の投書欄には、〈ひのえうま〉生まれの女性から『結婚できない』という悩みが多く寄せられ、新聞でも、〈ひのえうま〉を理由に縁談を断られて自殺した女性がいたことが報じられています」と石瀬先生は話す。「そのような悩みを見聞きした世代が多くいたことが1966(昭和41)年の〈ひのえうま〉の出生減につながったのではないでしょうか」
そして、60年前の出生数減少の背景を踏まえ、来年の〈ひのえうま〉に対して、石瀬先生はこう言葉を結んだ。
「1964から66年頃の新聞や雑誌でも、〈ひのえうま迷信〉が盛んに取り上げられていました。『迷信に惑わされないように』と呼びかける取り組みがあることを報じるだけでなく、『ロケットが宇宙に行く時代に〈ひのえうま迷信〉なんて誰も信じないだろう』『知らない人が増えているので議論しない方がよい』『もう女の子が差別されることはないだろう』『出生数が減るなら、この年に生まれた子どもは幼稚園や高校、さらに大学に入りやすくなる』など、今でもみんながパッと思いつきそうな議論も、すでに行われていました。
1966年は大幅に出産が減りましたが、当時は今より若い時期の結婚・出産が多かったので、先延ばしという選択肢もありました。結婚・出産が高年齢化している今は、さまざまな要因もからみあい、先延ばしは難しいといえます。また、1966年生まれの女性が結婚できなかった、というような話もほとんどでなかったので、もはやほとんどの人は気にしていないのだろうとも思います。そう考えると、これまでの〈ひのえうま〉ほど、大きな影響にはならないと思える一方で、1966年のときの議論を調べていると『AIの時代に〈ひのえうま迷信〉なんて誰も信じないだろう』と安易に楽観視することもできません。少子化が大きな問題となっている状況下で、少しでも〈ひのえうま〉の影響を受けることになったら大変です。出産期の人だけでなく、その上の世代も含めてこのまま『気にすることではない』という雰囲気を保った状態でいることがなにより大事だと思います」